当時鉄道雑誌を眺めていて是非訪問したかった余部鉄橋に念願叶って出かけたのは1985年の夏休みでした。このころは鈍行列車のほとんどは客車列車で、旧型客車がたくさん走っていました。お立ち台にカメラを構えて最初に撮影した列車はたまたま機関車が重連でラッキー。
山陰本線 鎧~余部 1985年8月
Nikon FE2, Ai 135mm F2.8S, KR
行き帰りにどういう行程をたどったのかすっかり忘れてしまいました。朝の客車列車から撮影しているので『出雲』に乗ったかどこかに前泊したのだと思います。
コメント (2)
私、故郷が山陰の島根なもので、関東から帰るときはいつも「出雲」
でした。餘部を渡る辺りから、「あぁ、帰ってきたな」という
気分になりました。
85年では例の事故が起きる前ですので防風柵も低く撮りやすかった
頃ですね。
投稿者: JZX81 | 2009年08月04日 10:43
日時: 2009年08月04日 10:43
JZX81様、コメントありがとうございます。
私は実家が千葉県なのでふるさとに帰るというほどの距離がありません。毎年遠くに帰省する人をうらやましく思ったこともありました。
鉄橋の事故はこの翌年の86年だったのですね。
投稿者: 999D | 2009年08月04日 23:08
日時: 2009年08月04日 23:08